ヨーゼフのお役立ちコラム

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宗教に帰依することの大事さ

マリヤ・クリニック・ニュース
2025.5. No.361

 親友が余命7カ月なので牧師を引退し、その記事を頼まれました。阿蘇の噴煙を見ながら育った肥後もっこす(純粋で正義感が強く、一度決めたら梃でも動かないほど頑固一徹、妥協しない男性)です。膵臓がんですが延命治療を断り、覚悟して天国への旅立ちの準備をしています。

 「3度ほど死の陰の谷を散歩しましたが、暗くも寂しくもない、感謝と喜びと平安な谷です。主がそばにいてくだされば、どこもいいところです。一生分の痛みと注射と採血と検査を受けました。いつまで生かされるかわかりませんが、生きている間は今後もよろしくお願いします。」と最初にメールが来ました。2月に急性肝炎になった時は、「このままだと劇症肝炎になり、突然亡くなる可能性もあります。今のところ医師は手の打ちようがなく経過観察中です。呼吸困難、心肺停止、食事困難の場合は、いっさい処置しないように医師に伝えました。先生と出会えたことは私の喜びです。」と連絡があり、すぐに見舞いに駆けつけました。元気になって退院していたので、4時間も話しました。神に仕える悔いのない人生を送ってきたので天国に召されるまで献身者として過ごしていくという信念と覚悟を聞きました。

 私自身も42歳の時に不整脈で動けなくなりました。痛風で顎がはれ上がり、物が食べられなくなっても、講演に行きました。体調を崩し、長くは生きられないと覚悟したのは十数年前です。「神と共に生きる。」と決心して無理をしなくなり、全てを委ねるようにして、ガーデニングを始め、食事や身体を管理して、すっかり元気になりました。「神の為に生きる。」と働き過ぎていたことが愚かな自己満足であったことに気が付きました。

 牧師と言えど、信仰者と言えど、愚かさはありました。しかし、信仰を持って生きてきたことが本当に素晴らしいことだと思っています。心を通わせる友人たちとの交流、夫婦家族の交流、信者たちとの交流、信仰生活でしか達せられないものです。宗教離れが進んでいます。神を信じる人生は、この世の栄達を求めるものとは異なります。胡散臭く思われるかもしれませんが、変だと思ったら止めればよいのです。求めてみませんか。

事務長 柏崎久雄

簡単、安易に誘惑に陥る人が増え、犯罪も残虐になる一方で、また、自殺や自傷行為なども増えています。道徳心も退廃してきて、不倫やハラスメントは身近な出来事になってしまいました。金銭や栄達を求めて、人を出し抜いたり騙したりすることも多くなっています。他方、高齢者、障碍者、弱者はないがしろにされています。

 これらのことは健全な宗教では、すべて教えと修行の中で戒められていることです。最近の宗教離れが、このような道徳や自制心、そして孝行や労りの崩壊に繋がっているように思えます。スポーツのトレーニングがもてはやされ、健康に良い、体力作りになると言われています。世の中は、合理的、経済的、健康的と自分にとって都合の良いことばかりに関心が向いています。

 宗教は、現代社会では疎んじられ、合理性や経済性からは縁遠い、非生産的な因習的なものと捉えられています。特に日本では、もともと宗教に現世的ご利益を求めてきた要素が強く、社会が経済的繁栄を追求するものとなってからは、伝統的な宗教は一部の人だけによって守られることになってきてしまいました。

 私たち夫婦はクリスチャンです。特に、夫の私は牧師です。神がおられるならば、信じ仕えなければならない、ということで信仰に入りました。ご利益というよりも、それが神への対応であり、人の使命であると考えます。他の宗教のことはわかりませんが、長くクリニックニュースを書いてきて、私たちのクリスチャンとしての考え方・生き方をお伝えしていないので、今回は、社会の反宗教性を憂えながら、そのことを記してみたいと思います。

 イエス様は、大事な教えとして次の2つを挙げられました。

  • 「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神を愛せよ。」
  • 「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」

神は、尽くして愛すべき方です。多くの人が神に自分の利益を求めていますが、それは神に対して非常に不遜な態度です。神は敬い、崇めるべき方であり、教えに従って生きることが大事です。

 私は、毎日、為すべきことを教え導いてくださるように祈っています。それほど、献身的な人間でも、謙遜な人間でもありませんが、神の教えと御心には沿って生きたいと考えています。

 隣人とは、あなたの隣りにいる人であると聖書は教えています。最も隣りにいる人は夫婦です。自分の妻を自分と同様に愛しなさい。」と命じられていますが、妻をそのように愛すると、他の人は「二の次」にしなければなりません。人間の能力と思いは有限だからです。そして、近しい人ほど手間が掛り、面倒くさいものです。しかし、それは神の教えです。従わなければなりません。

 自分自身をどのように愛しているかを確認します。健全に自分を愛し慈しむということは難しいことです。若い時は、色々な誘惑に負けてしまいます。欲望というものは、自分でコントロールすることが大事で、ややもすると自分を崩壊させてしまうこともあります。自分を愛するのも、妻を愛するのも、他の人を愛するのも難しいもので、経験と年月の中でこなれてくるものです。若い時やカッとするとき、そして、自尊心が強いと、愛は相手に通じにくく傷つけることもあります。

毎日の生活で神を意識し、神に問い、自分を吟味することが祈りであると思います。しばしば、「神に教えられた」と独りよがりの判断と要求を伝える人がいますが、そう言われれば誰も反論できません。敬虔な信仰者は、神に仕えることを望み、みだりに自分の都合で神の名を唱えません。自分の願いは一度祈れば十分で、神はご存じなので、神を自分のために利用するような不遜なことはするべきではないと考えています。

神の国を目指し、それに相応しい者になっていくべく節制と努力を重ねて、自らの人生に与えられた神からの課題を果たしていくことが大事だと思っています。

 思い通りにいかないこと、嫌なこと、試練や事故・災害などがあることは人生には当然なことです。厳しい寒さの空っ風、夕立と雷の群馬県前橋市で育ち、自然の様相を見ながら逆らってもしょうがないと悟り、台風の後の利根川の河原で自然の荒れ狂う凄さを体験しました。人生の流れの中で、 人に恥じない生き方をしようと決心し、天に通じる至誠を求めたものでした。神は、私たちを見守っておられますが、干渉や指導はしません。ただ、信仰を持つと、神の絶対的な加護を確信して動揺せずに試練に立ち向かうことができます。逆に、神にすがって人や状況を変えようとすると、神の御心に反した自分勝手な性格になっていきます。

信心を持つと、神や仏に特別な恩寵・祝福を求めたがる傾向はあるものです。しかし、長い信仰歴の中で、そういう考えは歪んだ考え方、そして優劣を比較するものになってしまう怖さを思い知ります。神の祝福は雨のようで、時折降り注ぐ恵みと捉えたほうが健全であり、落ち着いた信仰生活をもたらします。

欲望や怠惰は、私たちをダメにする罠のように考えています。大事なことは、平静を保ち、勤勉に働くことです。欲望は、食欲・性欲・金銭欲・名誉欲・成功欲などがありますが、正常な行動から乖離した異常行動に私たちを導きます。束の間はそれを適えたとしても、結局は私たちを摩耗させてしまいます。カフェインなどで眠気を抑え、身体を活性化させて、結局は神経を擦り減らし不健康をもたらすことと同様です。健全な欲や健全な量のカフェインで、平穏な暮らしを保つために、信仰による平安と自制は必要なことです。

人はそれぞれの能力や育ちが異なります。聖書は、「多く与えられた者は多くを要求される。」とありますが、指導者であっても不器用で能力がなくても、人間としての価値に違いはありません。多くの仕事と義務を平然とこなすには能力が必要です。それを無理にこなそうとすると、ストレスと過労で疲弊してきて病気や短命をもたらします。大事なことは人間として、互いに愛し合い、人生を喜び楽しんで、その能力を発揮して生きることです。習熟する余裕を持つことが大事です。

 障害を持ち、或いは悲惨な環境に生きても、それを神は見守っておられ、その人生を御心に沿った生き方をした人が神の国に迎え入れられると信じることが信仰です。

 イエス様は、「金持ちが神の国に入ることは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい。」、「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。」と言われました。この世で恵まれていると、神を求める気持ちがなくなるということです。才能や富にうぬぼれていると神に見放されるのです。

私が心に留めているのは、「主の祝福そのものが人を富ませ、人の労苦は何もそれに加えない。」という聖書の言葉です。日本人は、一生懸命働く人が多く、労働による収入を大事にします。ただ、神の祝福の中で生きるということは、それとは根本的に異なります。働くことは大事ですが、その先にあるべきは、神に祝福された幸せな人生です。「明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」。働き過ぎず、思い煩わず、その日を喜び楽しんで生きましょう。

職種や働き場所を選ぶことも大事です。伝統的・歴史的に肉体労働が低く見られ、事務的な仕事や管理職が尊ばれました。会社命令や上司の指示は絶対であり、転勤や異動に怯え、ノルマを課せられという勤務は少なくなりましたが、事務系の職種が向いている人ばかりではありません。小さい頃から成績を上げるために勉学に励み、優秀な学校に入り、高給かつ業績の良い会社に勤めることが多くの人の目標になっています。職人や農業の人は身近にいなくなっていますが、楽しく思い通りに生きている人々は少なくありません。

 私自身は、高校生の時から、会社勤めや教員などは向いていない・できないと考えていました。自分の意に沿わない仕事はしたくなかったからです。会計士を目指しましたが、社会を知る中でやはり向いていないと感じました。大学教員も模索しましたが、これも純粋にはいかないと諦め、結局、牧師になりました。地上ではあまり報いはありませんが、向いているようです。

 妻は不器用で勤務医には向いていないので、私が経営をすることにしてクリニックを開業しました。更に、栄養医学に必要なサプリメントを患者さんにきちんと提供するために会社を設立し、栄養医学と治療法を浸透させるために治療の会も作りました。所属する教団では、会計財務がきちんとしていないので、財務や監事を長年担当しました。日本のようなクリスチャンの少ない国では牧師として十分な給料を得ることは難しいし、信者に養われるようでは健全な教化はできないと考え、副職は 当然と考えました。結局のところ、これらすべてが私には向いていました。現在でも気に沿わないこと、神の御心に合わなそうなことはしません。信仰の筋を通すと頑固者になるかもしれません?!

 聖書には格別禁じられていることはありません。自分の身体の管理責任から、私たち夫婦は、砂糖の多いもの・甘味料・保存料・着色剤・発色剤、その他添加物の入ったものは食べないように注意しています。旧約聖書には脂肪は食べないようにとあるので、なるべく赤身の豚肉や牛肉を食べます。鶏肉は抗生物質を与えて育てていることが多いのであまり食べません。ニワトリを飼っており卵は毎日2-3個は食べ、野菜や豆は多く食べます。体質に必要なサプリメントも十分に摂っています。

 妻は、低血糖症の体質なので筋肉が付きづらく、食間に栄養を補給しないと動けなくなります。肉を多く食べたがります。私は、痛風体質なのでプリン体の多いもの(魚卵、レバー、干し椎茸、ピーナッツ、ビールなど)は摂りません。

 夫婦共に運動はなるべく多く歩き、多く横になります。カフェイン飲料は多くて一日2杯で、妻はあまり飲みません。身体は神から預かったものであり、健康のために節制・努力することは信仰者の義務だと考えています。食べ放題の店には入りません。豪華な食事も身体を壊します。

 妻は天才ですが、かなり不器用です。掃除は好きですが、片付きません。料理も殆ど毎食作りますが、味加減が微妙です。賞味期限が過ぎた食物は、「早く食べなければね。」と言います。一生懸命生きていますが、疲れるとコロンと動けなくなり、ゼンマイ仕掛けのロボットのようです。信仰は私よりも熱心で、本当は独身の時に宣教師になると表明したのです。私はそれを知っていて、こんな信仰熱心な人と結婚すると大変だなと考えていました。ところが、結婚することになって、その表明が私への重荷になり、私が肩代わりして牧師になりました。

 子どもたちにはあまり信仰教育はしていません。聖書的にはダメな親です。ただ、信仰を強制したくはなかったのです。2人の息子は仕事はやり手ですが、信仰には関心がないようです。3人の娘はそれなりに教会と関わっていて、長女の伴侶は牧師です。社会的なマナーは身についており、全く違う職種で活躍しています。私たち夫婦の遺産を教会に献げることも同意してくれています。

定年とか引退は、会社などで働いていた人が余生を充実して生きるためのものです。私は神に献身して牧師になったので、勝手に引退することはできません。妻も、患者さんを治すことを生き甲斐と考えています。仕事が苦労とは思いませんし、日曜は神に仕えて教会で働き、木曜の休みは夫婦で過ごしています。働けなくなるまで働きたいと願っています。

 結婚して私が神学校時代に妻は病気で働けなかったので、妻の親が援助してくれました。それ以外、誰の支援も受けず、勝手に生きてきました。お世話になるとその後に拘束されると思ったからです。信仰一途で多くの人に迷惑や誤解を掛けてきました。信仰に入ってから50年、結婚して45年ですが、ようやく落ち着いてきたと思っています。がむしゃらに生きたので、身体にも衰えが出てきましたが、その分、無理をしなくなりました。

 神を信じていなかったら、破滅した人生を送っていたし、短命であったかもしれません。節制が少しずつ身に付いてきました。信仰生活とは、こんなに楽でうれしいものなのだと感じるようになってきました。神を信じたからといって、すぐに聖く、祝福されるわけではありません。しかし、間違いはないと思います。

執筆者の紹介

かしわざき事務長

柏崎 久雄

・株式会社ヨーゼフ 代表取締役社長

・マリヤ・クリニック 事務長

・千葉福音キリスト教会 牧師

妻(マリヤ・クリニック院長)が低血糖症なのをきっかけに、分子整合栄養医学を勉強し、2004年にサプリメント会社を設立

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